買い物ができない!車社会化によるひずみ

 川本に住む多くの人は車を持ち、用事や欲しいものがあると、車を走らせればどこへでも行くことができる。一方で、高齢者や寮から通う高校生など、車で出かけることができない人々の問題を取材した。

車を所有しない人の現状

 島根中央高校に隣接する江風寮に住む野球部の郷原さんは「文房具は地元で買って持ってきている。日用品は因原まで行って買っている。本は川本では買えないので家にあるものを読むか、図書館で借りる。遠くに出かけるときは、バスが一日数本しか無く運賃も高いので中々利用できない」

 学校で必要な文具は、川本エリアで手に入れにくくなっている。唯一の文具店である樋原文具店も、店頭販売の終了を考えているという。そうなると、江風寮やシーピースで生活する高校生が勉強に必要な文具を買うためには、因原まで片道1時間歩くか、もしくは1日数本のバスに頼るしかないのである。

 さらに、川本には書店や映画館がなく、かといって遠くの書店などに行くと交通費が高くつく。寮に住む高校生にとって映画を観たり新書を買ったりできないのは問題だ。

 会下商店で定期的に買い物をするという女性はこう話す。「車が運転できない高齢者にとって、因原の店まで買い物に行くのは本当に大変だ。また、会下商店は加藤病院の前に立地しているから、病院の利用者で身体の調子が悪い人にとっても便利。もし会下商店がなくなったら困る。」

 足腰が強くない人や自転車がない人にとっては、川本から大型店のある因原まで買い物に出るのも難しい。そのような人々にとって街の商店街は、まさに生命線である。

今の現状はいかに始まったのか

 かつての川本は何でも揃っていた。文具店なら3軒もあり、本屋に映画館にパチンコ店、さらに20年ほど前まではプリクラも、弓市の中にあったという。川本がこれほど栄えていた理由の一つに、仕事が多くあったことがある。中国山地では広範囲で磁鉄鉱が取れ、全国的に鉄の需要が高い時期は、川本はたたら製鉄によって栄えた。

 また、現在の川本と美郷の間には銅ヶ丸鉱山という銅山があり、「東の足尾、西の銅ヶ丸」と言う方もいるほどほど大規模なもので、多くの人がそこで働いていたそうだ。

 他にも江川水運の要衝であったり、島根県の合同庁舎があったりしたことで、往年の川本は仕事で溢れていた。仕事があれば人が来て、街が発展する。こうして川本は、沢山の人やものが集まる商店街になっていったのだ。

 しかし商店街は衰退していった。衰退の要因は様々だが、NTTや中電などの主要企業が縮小・撤退したのは大きい。

川本町に立地する国の現業機関は旧日本電信電話公社川本電報電話局(現・NTT), 旧国鉄 (川本駅,川本保線支区,川本自動車営業所, 現・JRおよびJRバス ),国有林野(川本営林署)などがかつて多数の職員を有していた.1960 年には 400人以上もいたこれらの職員が ,近年になるにつれて徐々に減少し,今日では100 人あまり最盛期の4分の1近くまでその数を減らしている

(作野広和 1995)

 少し古いデータだが、1995年時点では雇用が大きく縮小している。民営化などによる効率化のため、NTTや中国電力は営業所からサービスセンターへの格下げを行ったのだ。

 現在はNTTも中国電力も川本から撤退してしまった。地域の企業の雇用が減ると、人口も大きく減り、商店街含む地域全体の衰退につながった。

これからの川本について考える

 ただ、今の川本も雇用は少なくない。2018年には健康食品の製造工場が三原に誘致された。また、仕事とは言わないが、県外から島根中央高校に通う学生も大幅に増加している。仕事や学びのために多くの人が川本にやってくるのだ。ならば、川本は最低限の買い物ができるまちでなければならない。

 車社会化が進んだことで生活が便利になったことには違いない。しかしその反面、車やバイクを持てない人々が取り残されている厳しい現実がある。特に川本町は高齢化が進んでいる上、県外からの高校生の数が多いため、車やバイクを持てない人々にとっても暮らしやすいまちづくりが必須である。

 そのためには、誰もが移動の自由を享受できる仕組みをつくり、旧川本駅周辺の中心街を再興させるなどして、誰もが生活ができる街を目指さなくてはならない。

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